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2013年9月23日 (月)

「鉄砲組百人隊 出陣の儀」 新宿区百人町 私の育った町

私は小学校の6年間(昭和36年~昭和45年)まで新宿区立戸山小学校に通っていました。新大久保駅と高田馬場駅の中間に位置し、この区間内に多くの友達が住んでいました。当然今回紹介する皆中稲荷神社は、私たちの遊び場でもありました。

Photo_61590年(天正18年)徳川家康が江戸入府の際、内藤氏らに率いられた伊賀組などの同心は、江戸の西の警備にあたるために駐屯しました。関ヶ原の戦いの後、幕府は鉄砲組に組屋敷を与え、現在の百人町に定住しました。

鉄砲組は同心百人を配属されたので百人組と呼ばれ、百人町の地名の由来になりました。
平時は、江戸城の警備にあたり、将軍が寛永寺、日光東照宮などに参詣する際には警護にあたりました。

この「鉄砲組百人隊 出陣の儀」は、1961年(昭和36年)から地元有志の尽力により行われるようになりました。(大久保駅壁画説明より)

皆中稲荷神社は、鉄砲組から信仰された。ある隊士が稲荷の霊夢(れいむ)により百発百中の腕前に上達したことが起源という。皆中は『みなあたる』の意味がある。

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バブルとその後の崩壊もあり、同級生も今ほとんど住んではいない。新大久保から大久保は間は中国人が多く住み、明治通り方面は韓国人街と今ではなっている。









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